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Pain

生きるとは「痛い」んだ

知り合いに薦められた映画で
そんな言葉が出てきた



死ぬ事は痛く恐ろしい
だからこそ死にたくない

だが一方
死ぬことがなければ
死にたくない と、
生きようとする意志も生まれない



痛みもそうだ
痛いから
意思が生まれる
苦しいから
望みが生まれる
抑圧されるから
欲求が生まれる


だから
生きるのはとても「痛い」
痛くあるべきなのだ




じゃあ苦悩や憎悪と言う「痛み」で
満ちた人生は幸せなのか?

答えは「No」
当たり前だが痛みなぞない方が幸せだ

それなら「痛み」のない人生は幸せか?
これも「No」

究極的に痛みのない都合のよい世界など
母親の羊水の中で永久にまどろんでいるに等しい

その中で 意思など 欲望など
生まれようか いや生まれない


ならば「痛み」もある人生は幸せか?

これが「Yes」


だから
痛い という事を切り捨てないで
痛い という事の恐れを捨てないで

痛い という事の恐れを知り、
それでもなお
その恐れを超えた先にこそ
大切なモノがある


----

さて 転じてアリーナの話

最近 出すぎ と 下がり過ぎ
この二つが話題になることは少なくないだろう

ヲリやNM勢は
死の恐れを知らぬ 蛮勇を奮う傾向が強く
逆に
プリ勢は
死の恐れを知るが故に それを超えれぬ傾向が強い


だからこういう言葉が出る

下がって 押して

違う そうじゃない
それは本質から反れている

「今は」下がるべき
「今は」押すべき

「何秒後」下がるべき
「何秒前」までに押していれば良かった


大事なのは
死の恐れを知りなおかつ
それを超えて生きようとする意志だ


だからどこまで押すのか
どこで引くべきなのか
文字通り押し引きなのだ


3秒の猶予を持って生き残ることと
0、3秒の猶予を持って生き残ることの
意味合いは全く異なる

ただし現実を見て1秒を取る事
1,3秒を取る事
取り方に差はあるが
それは非常に正しい
むしろ理想というか
一番そうなって欲しいケース

だが
死を恐れ 3秒の猶予を取る事
これは違う
真実から遠ざかっている



だから
そういう事を一分足りとも理解していない前衛や
真実から遠ざかろうとするプリは
好きではない

非常にイライラする
基本的に「イライラしてる」と 口に出す時は
大概そういう時です

前衛が後衛がスナとかに打たれてる時に
死ぬ可能性の高さを理解もせず突っ込むこと
逆に 前衛がリカバさえあれば死ななかったのに
後衛が下がったから死ぬ事

そしてそれが起きたせいで
余計に 突っ込む 余計に 下がろうとする



どっちも違う

じゃあ逆に
前衛が後ろを気にしすぎて
押されて後ろ諸共ペシャンコになった時
後衛がリカバのためにでてきて後衛も死んでしまった時


むしろこれは逆に良いと思う
何も考えずには如何なものではあるけれど
考えた上にこうなるのであればしょうがない、
次はもっと押すor引くほうにバランスを調整すれば良い


故に
死は恐るべきだ
そして同時に恐れぬべきだ
恐れた上で恐れず 生きようとする
0,3秒の刹那を生きようとして欲しい


だからただ死んでもいいから前出ればいいとか
押すことをほとんどせずに押したから見捨てるとか


なんだろう そういうのはかなり嫌い


「死中に活を見出す」
と言う言葉の真髄はこういう事だと思う



るろうに○心って漫画あるやん?
アマカケルリュウのうんたらかんたらの会得に

自分が死んでも相手を殺す気でやってもできないけど
自分が死ぬ気でなおかつそれでも
生き延びようとするから
残りの一歩が踏み出せて斬り込める

みたいのあったやん?
なんかあんなカンジ
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コメント

非公開コメント

No title

ヒュンケルの無刀陣やグランドクルスみたいなもんですか

No title

ウーン
微妙にニュアンスがズレてる感
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